ツイッターにいると定期的に出会う現象だ。
ラノベが馬鹿にされる理由を説明する記事がここ最近、いくつか出てきた。
ライトノベルが馬鹿にされがちな3つの理由
http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2015/01/31/171831
ライトノベルが馬鹿にされがちな本当の理由
http://mahiru123.hatenablog.com/entry/2015/02/01/104205
私がラノベを馬鹿にしている唯一の理由
http://360.hatenadiary.jp/entry/2015/02/01/182227
それぞれ「ライトなイメージが軟派に取られるから」とか「敷居が高いから」とか「ハーレムばっかだから」とか色々な意見があった。
そして思った。
「馬鹿にされるって認識自体が何かおかしくね」
何で常に物品を出し、一定層に受けてる商売が、馬鹿だから仕方ない、みたいな事を言われるのか。
結論から言うと、ラノベは「馬鹿にできやすいから何かを馬鹿にしたい人に馬鹿にされてる」のだと思っている。
まず、最初に「馬鹿にしたい」ありきなのだと。
以下、それを述べる。
ラノベは「わかりやすい」
とかくラノベはハーレムばっかりだからとか、文章の程度が低いとか、俺TUEEEしてるからとか、歪んだ大衆性を求めすぎたせいで馬鹿にされてるんだとはよく聞く。でも、どれも根本的な理由ではない。
結局のところ、それらの原因とされてるものは、振り返ってみたら、アレが原因だったかもしれない、以上のものはない。
俺は、正味ラノベを胸を張れるほど読んでるわけじゃない。
月2、3冊程度でも多いぐらいだ。
その程度のにわかでも、ラノベはハーレムばっかりで文章の程度が低いわけじゃないのはわかる。
なのに何故、馬鹿とされる流れは一定の支持を得やすいのか
ラノベは、当たり前だが小説だ。
小説というのは、よほどの読書家でない限り、読むのにある程度のリソースを要求される。
一冊の本の文字情報を処理して理解に要する力というのは存外大きい。
そこを何とかしようと頑張ってるのがラノベだと思う。
現状のラノベは文字情報だけでわかりにくい小説というジャンルに対して、キャッチーな絵柄や挿絵、特徴のあるタイトル、それらに準じた設定や話で何とか興味を持って貰おうと頑張っている。
ラノベ史に明るいわけではないので、最初期からそうだったと断言はできないが(多分ちょっと違う)
必要なのは、取っ掛かりであり、「わかりやすさ」だ。
それが安易な媚びを生むからダメなんだ、と言いたいわけではない。
ラノベのターゲット層に合わせて、商売性を追求したらそう洗練されただけ、という話だ。
流行に後追いするなんてラノベに限った話じゃない。そこを馬鹿だの低俗だの言うのはお門違いだ。
「わかりやすい」が多すぎて「わからない」
しかし、ここで問題がある。
一つラノベが発売したとして、先行情報として出てくるのは表紙とタイトルとあらすじと、後は挿絵ぐらいだ。
正確な中身については最後にわかる情報である。
そして、先ほど述べたように、小説一つを読むというのは力が割といる。
しかも、ラノベはシリーズ化するのが珍しい事ではない上に、ものすごいスピードで供給されるので、新規が読むにはハードルがある。
これが、ラノベを馬鹿にしたい人間にとっては格好の的なのではないだろうか。
いくらわかりやすい、とは言っても、ラノベは漫画とは違い、小説であり、どれも活字の列挙だ。
読まない人間にとっては、一様に活字という名のモザイクがかかっている。
だから
中身はわからないけど表紙には女の子ばかり、タイトルは珍妙、何となく伝わる内容は変に媚びてるっぽい……
という認識を、ラノベをあまり知らない人に、悪意を持って拡散させる事だって可能だ。
そして、お手頃で何かを叩きたい人間のニーズにシッカリと合致して、見事に「最近のラノベは馬鹿ばかり」という共通認識が完成する。
一つ例を挙げる。
『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』というラノベがある。
表紙はこう
あらすじはこう
僕はレイチ。元モグラ(詩的表現、元気いっぱいに!)。
今年から第八高等学校に入学する将来のモテメン(希望込み)。
っていうか適当に平和にやりつつ、好きな植物でも愛でて妄想の中で暮らしていきたかったのに、クラスメイトは異文化流モラルハザードなヤツばっか!
僕はインモラル以外食さねーっつってんだろ! とくに何なの? この幼女? ネルリ? 耳刈? せっかくの高校生活、痛いのはイヤ―!(耳だけに)
ここから「キャピキャピ異世界学園モノかと思いきや、ディストピアっぽい国のドロドロな国政事情に巻き込まれる話」なんて誰が予想つけるのか。
俺が読んだラノベの中では間違いなく異彩を放つ作品で、ネットでも熱狂的なファンがいる作品の一つなのだが、これがいざ書店に並ぶと、色んな「わかりやすさ」があるラノベ群の中に埋没する。
俺にしても、このラノベは、発売当時のえんため大賞受賞作を買い漁ってた中の一つに過ぎなかった。
このラノベに限った話じゃない。
小説なんて、いくらネットで表紙やあらすじ、感想や評判を読めるなんていっても、実際に手に取って読んでみなければわからない。
ラノベは日々多くの数が出ており、それらを全てチェックして内容を細かく把握するのはほぼ不可能に近い。多くは表層的な情報に頼って、購買を決めざるを得ない。
ラノベを馬鹿にしたい人間からしたら、そんな状況はイメージの捏造をやりやすくさせてくれる美味しい状況だ。
「わからない」ので馬鹿にできやすい
「わかりやすさ」による先行イメージは、反転して印象操作の餌食となる。
だから、ラノベを馬鹿にしたい人間が「ラノベは女の子ばかりのハーレムもので、程度が低いものしかない」って言えば、あんまりラノベについて知らない人がそれに同調して叩く構図が出来る。
ラノベアニメから何となく浮かぶイメージも使えば、倍率ドン。
ラノベは限定的な情報だけで馬鹿にしやすい。
限定的な情報だけを見れるネットにおいては尚更だ。
だから『虎よ、虎よ!』の例の画像をラノベと偽って馬鹿にすることも、『僕は友達が少ない』で座席表が使われているのを「小説の体を成してない、程度が低い」と言う事も簡単に通る。
順序が逆なんだろう。
女の子ばかりでハーレムでエロいのが一定数あるから馬鹿にされてるんじゃない。
それは、単にラノベの色んな要素の中から抽出した後付だ。
ラノベが馬鹿にされてるんじゃないく、何かを馬鹿にしたい人間が印象操作で馬鹿にできやすいのがラノベなんじゃないか。
この世からハーレムで媚び媚びな低俗とされるラノベが消え去っても、多分問題は解決しない。
そうなったら、今度は新しい属性やらジャンルが低俗と称され、ターゲットになるだけだ。
どうしようもない
今までの話から逆算すると、「最近のラノベ」の最近の範囲がぼんやりと見えてくる。
おそらくこれは「現在、書店に並んでる新発売のラノベ」の事を指している。
何故かというと、発売されて間もないので、ネットで感想などの内容がまだ拡散しておらず、いくらでも表紙やらタイトルやらの先行情報で印象を歪める事が出来るから。
しかも、ラノベは回転率が早いので、いくらでも「最近のラノベ」というフワフワした括りでも逃げられる。
ここまで書くと、まるでラノベの地位を貶めたい人間の陰謀論のように見えるかもしれないが、何て事はない。
印象論でお手軽に何かを叩く場面はネット上でいくらでもある。
その中で、ラノベはまさしく、ライト感覚で叩ける優秀なサンドバックだ。だから軽い気持ちで叩かれる。
この「馬鹿にされる」現象はしょうがない事だと思うし、どうしようもない事だと思う。
要するにラノベの「わかりやすさ」という商品戦略の一つがデメリットとして出たのが、「最近のラノベ」という意識ではないか。
少しずつ周知させて、誤解を解いていくしかないんだろう。
それに、裏を返せば、商売戦略の成功と取れるわけで、ラノベの未来は明るいと言えるかもしれない。
何かが流行していく過程では、偏見というものはつきものだ。